〜Grim Garden〜
少女によって花を蝶に、遊牧民によって木の枝を鞭に、芸術家によって大岩を熊へと変じた魔剣クルドヌールは、物質を使用者の認識で「似ているもの」に変える力を持つと言われている。どうにでもしろと開き直る滞納者に困り果てたメヴィエリアラが使うと、その魔剣は斬った相手の血を分解して通貨へと組み替えた。経済は社会の活力を運ぶ血流であるからと彼女は説明したが、つまるところ、人が金に見えているのではないか。
シャンヌイが周囲に申し訳なく思うのは、自分の存在そのものだ。生まれくるべきではなかったとまでは言わないが、今ここでなくても良かったのではないか。とにかくそりが合わない。自分で獲得したのではなく前世代から恵まれたに過ぎない有形無形の資産を頑なに守ろうとするあらゆる人々の習癖は、彼女の目にはとても奇妙に映った。生まれた土地に文句を言っても仕方がないが、彼らの生き方を真似する気には到底なれない。シャンヌイにしてみれば、世界から与えられたものは世界へと返すほかはない。彼女の剣は、なにかを手放すときにこそ冴え渡る。
フェルシーは誰にでも媚を売る。生きてて恥ずかしくないのだろうか。なんとなれば他人と一緒になってこちらを責めることすらある。味方が誰なのか分かっていないようだ。一緒にいてとても心地よい人間ではあるのだが、むしろ人を惹きつけすぎるので目が離せない。師は暴力は振りかざすものではないと口酸っぱく説いていたが、そうは言っても抜き差しならない時はある。人の形をした害獣がフェルシーに近づくとき、自分が守らなければならない、とカナリスは思う。
カナリスは何かあると街中で剣を抜く。おおよそ人間と人間の作ったルールに興味がないのだろう。もっと悪い時には、魔法を使う。人間と魔法使いの違いを気にしない。おそらく区別がついていない。害あるものを鋭く見破ってくれるので旅の安全面では助かっているが、考えなしに暴れた尻拭いをするのは自分である。師は人間と魔法使いは根から同じものなのだとは言ったが、社会での方向感覚がなさすぎるのも考えものだ。カナリスが都市の生態に馴染めず涙を流すとき、自分が隣にいなくてはならない、とフェルシーは思う。
札付きの粗暴集団を率いるデイジーデイジーに、「頭脳」が加わったのが良くなかった。効率化された彼女らの稼ぎは日に日に大きくなっていき、盛り上がった果てに国盗りをおっぱじめる。愛しい腹心の実に的確な采配により辺境の国の防衛を突破。性根の腐った王を裸に吊るして権勢をまるごと手に入れる。デイジーデイジーは王冠を頂いて高らかに宣言する。この国の民も富もわたしものだ!
王様は楽しかった。レジスタンスや悪党どもが起こす暴動を自ら乗り出して鎮圧するのも悪くない。だが問題はその後にあった。家来たちが報告してくる問題が多すぎたのだ。辟易したデイジーデイジーは三日にしてすべてを投げ出してしまう。
彼女が理解していなかったのは、自分が「守る」のに致命的に向かないことだった。
ブリオッシュは幼少期から意志を潰され、徹底して実技ばかりを覚えさせられた。それ故に高値がついたと云う。何も感じない。主人の鞭は絶対なる支配の象徴だったが、それを平然と蹴散らした盗賊が自分を奪い去った時も、所有権が移ったとしか思わなかった。ところが新しい主人は、これまでにはない要求をしてきた。ブリオッシュ自身が欲するもの、求めるものを再三聞かれるのだ。そんなものはない。命令されれば何でも差し出せるつもりでいたが、自分が持ち合わせないものを要求されるのは苦痛だった。平穏が壊されたと感じた。放っておいて欲しいと叫ぶと、女頭領はあっさり引いて遊びに出かける。一人になっても気分は晴れず、新しい主人の顔が頭から離れない。このような感覚は始めてだ。しかも当時の切り込み隊長が何を勘違いしたのか、頭領に対して馴れ馴れしすぎると因縁をつけてきた。こみ上げてきた謎の衝動を隊長にぶつけ、地を這わせて顔面を踏みつけると帰ってきた頭領は爆笑した。
「あなたが欲しい」
ブリオッシュは唐突に言った。爆笑は引きつりに達し、頭領は転げ回る。
メルティアは姉に手を引かれて家を出た。戸棚を駆け回る妖精がまだ見えていた幼い頃のことだった。姉は、両親が二人の小さな魔女を恐れていたことに気づいていた。迷惑をかけまいとしたのだ。メルティアは理解できずに泣きじゃくったが、今となっては姉が誇らしくて仕方がない。旅立つ二人に両親は、ただごめんなさいと言った。姉は、今までありがとうございましたと言った。自ら両親と離れるのは、どれだけ悲しいことだったのだろう。そのとき恨みではなく感謝を選ぶことは、どれだけ強い意志の要ることだったろう。
メルティアの心に灯る小さな光は、間違いなく姉から分け与えられたものだ。自分が分け与えるのは誰にだろうかと思う限り、メルティアが間違えることは決してない。
夢想十八回廊の七番目、冒涜と羨望が格子状に敷き詰められ諦観が波しぶきをあげる「かかわらざるの岬」に腰掛けて、ノワールは持っている杖の先を見つめる。杖の先には透明な球体がある。球体は黒く濁っているように見えるが、ノワールにはそれこそが美しい。彼女の従僕たる八百万の黒い鳥が、世界各所でどのように分布し回遊しているかの見取り図になっているからだ。球体に指を突っ込むと、黒い鳥たちはしわ寄せて流れを変える。黒い鳥たちの見たものは、集積されてノワールの認識に絶えず流れ込んでくる。各伝承の分布。冷たく輝く中心核。極点を踊るもの。剣と魔の混交傾向。雌伏する天使と悪魔。朽ちた劇場に巣食うネズミ。良心を兵糧に版図を広げる教会勢力。遍在と偏在をうつろう霧。水の循環が成す巨大な曼荼羅模様。東方へと進軍する薔薇の一個師団。唐突に、目眩と共に不吉な宣告がなされた。
「滅びの霊が天を裂き、鳥たちはすべて落ちた。目を開いても光はなく、耳を立てても音はない」
未来視症だ。莫大な情報をもとに思考の奥の秘められし領域が紡いだ予測と、現実の区別が曖昧になる。予測は絶対ではないが、あり得なくもないのが厄介だ。何もしなければ蓋然性が高まるところも気が重い。鳥たちを通じた俯瞰は尋常でない快楽をもたらすが、少々浸りすぎたようだ。暗澹たる予言は精神にかかる負担こそが問題だ。目を覚ます方法はひとつしかない。ノワールは岬から身を投げた。
金貸し殺しの嫌疑をかけられた老婆に、シルヴェーヌが一通りの口上を述べてから指先を向ける。指先が青く燃え上がる。修道騎士たちのなかでも随一の速度と制動を誇る滅却浄光が老婆を包み込む。滅却浄光は罪なき者を傷つけることはなく祝福としかならない。罪があれば人とは言えないので滅却浄光をが人を殺すことはない。ただの老婆に見えた者はおぞましい叫び声をあげ、時間をかけて苦しみながらみじめな燃えかすとなった。
後日、金貸しを殺したのは別の男であるという証言があがり、シルヴェーヌはその証言者を呼び出して口上を述べる。
プローディアは炎を呪ったことは一度もなかった。破壊力を称賛された時にはずいぶん戸惑ったけれど、憎しみでするのでなければそれさえ良いと思う。滅ぼすものに立ち向かうとき、力があるのは心強いことだ。フィズルトリアの領主から隣接領への武力威嚇を頼まれたときにも、彼女はなんと快く引き受けた。領主は義理も信用もない姉妹を街に受け入れてくれた恩人だが、それが打算のためであったと知った彼女は自分も少しの我を通してやろうと思った。
プローディアは約束を守った。ただし威嚇は双方の街に対して行った。手加減なしの大出力を、傷つく者のいない夜空に向けて。
シフルヴァティはわずかでありすべてである。姿は環境に呼応して千変万化するが、本質は集合離散するただ一種の元素である。海洋の深淵の誰も一望し得ない大に小にうねる対流はどこも均一でなく、午睡のまどろみのように変化と差異に事欠かない。陽熱によって海原から剥がされ空に吹き上がる気流となるとき、成人の儀礼を思わせる衝撃的な目覚めを経験させる。天高く安寧を得たのも束の間、冷気から自重に耐えかねて地上に落ちるときは、今生の別れのような悲しみに包まれる。大地に染み渡り生物たちを巡ればやがて集まって河を成し、海まで流れようと志す。
思う。
悪魔には不倶戴天の敵である信仰心にこそ、ネーデのつけ込む隙がある。現実に絶望し、天使による救済を渇望するような人間は羽根の色など気にしないからだ。反応もことごとく一様で、その者が捨てられずにいる正しさを肯定してやれば、みな面白いように目を曇らせ堕落してくれる。誰も彼もが孤独でないと錯覚する。ネーデがそばにいてあげるから。取り返しがつかなくなるまで。道を誤ったことに気づいた時、失ったものを返せと喚く者を何人も見てきた。それを拒否するのが醍醐味だ。
ネーデは拒むのがだーいすき。さようなら。
森の奥。井戸のそばで病気のように息を乱す少女がいた。うろたえている。彼女は憎たらしい妹に激昂し、深い井戸に突き落としてしまったのだ。妹はもう動かない。ルーニャは声をかけてあげた。
「大丈夫だよ。証拠はない。一人で勝手に落ちたように見えるよ。ラッキーだったね!」
「ママに言わなくちゃ」
少女は首を振る。悪魔を見ても逃げ出さない。自分のしたことでいっぱいいっぱいだ。
「人殺しだよ?言ったら捨てられちゃうかも。上手に生きて幸せにならなきゃ」
少女は迷った末に、幸せを諦めないことにした。ルーニャはとても前向きに、どうすればいいかも細かく助言した。少女はすぐに別の場所で用事を作った。現場には二度と戻らなかった。それからいつも通りにした。学校にも行った。後日、遺体が発見されて騒ぎになった。両親は泣いていた。少女に嫌疑はかからず、妹は一人で遊んでいる時に落ちたのだろうと判断された。死因は餓死だった。
シフォンは一年で二百人は殺した。物理的に手をかけるのはシェードだが、引き金を引いているのは宿主だ。殺す理由は自衛でも恨みでもない。シフォンによれば、人が死ぬ時にキラキラしたものが見えて綺麗なのだそうだ。シェードとしては人間がいくら死んでも構うことはないのだが、同胞殺しを軽率に行う宿主の精神性には思うところがある。
「悪魔の俺が言うのもなんだけど、お前はたぶん地獄に落ちるぞ」
「当たり前でしょ。悪いことしたら報いを受けるものなんだから」
驚くべきことに、シフォンは信仰心を捨てていない。神への祈りはだいたい毎日捧げている。
「怖くないのか?」
「シェードが守ってくれるから」
確かにその通りだ。地獄にある大抵の脅威はシェードの威光で退けられる。だが勘弁してくれと思う。
「お前は一体何がしたいんだよ。この先どうするんだ?」
「どうもしないよ。あ、素敵な人見つけてお嫁さんになりたい」
シェードは絶句した。この女、同胞を大量に殺しておいてお嫁さんになりたがっている。
ラプソディーは何を振り撒いたか。端的に言えば観念、噛み砕いて言えば諍いの種である。彼女は一つの種族を滅ぼすのに三段階の手順を踏む。
第一に分断。例えば人間と魔法使いの間に線を引く。このとき人々の精神活動は「人間は魔法使いではない」だけでなく「魔法使いは人間ではない」という観念にも基礎づけられるようにしなければならない。ゆえに魔法使い側を人間倫理から解放する。人間への恨みを丁寧に誘導すれば、それは成し得る。
第二に効率化。組織化と技術の進歩を、闘争に向けさせる。二つに割れた群れが互いを恐れれば、競い合って生み出される破壊力の向上は天井知らずになる。その力が自分たちをも滅ぼせるほど育っても。
第三に終局処理。ここまで来れば目的は達したも同然なので、フィーユは身の振り方を考える段階に入る。彼女の痛みどころはイデアであることだ。存在自体が想像力に依存しているため、、種族すべてを滅ぼせば自分をも巻き添えにしてしまう。だから少数を残す。
永遠に眠り、イデアを支えるためだけの夢を見続ける孤独な王は、ラプソディーの都合の完成形である。竜ではうまくいった。人間ではどうだろうか。
はじめに憎悪があった、虚無は引き裂かれて憎むものと憎まれるものに離別する
人は伝承の法の母に非ず、旧知性種の墓に封じられた御業を盗んで我が物にした
とぐろを巻く竜の見る夢が覚めるとき、伝承たちは泡と消えて影も形も残らない
アネットの恋人が、戦争に行ったきり戻らない。帰ってきたら結婚しようと約束はしたものの、いつまでも待つのは想像以上に退屈だった。やがて耐え難い苦痛を感じるようになった。たわわに実るぶどうを摘みながら、アネットは自分を果実に重ねる。引く手あまたの逸品を捕まえて、熟れ時、食べごろを逃すのはもはや罪ではないか。一年も待ったのだから自分は誠実な方だろう。
アネットはその日から自身を解禁し、見どころのある男を庭園に引き込んではお互い品定めといくようになったのだが、これがまあ楽しい。
どのような不浄の地にあるときでも、巡礼者セレネの心は揺らがない。その秘密は啓示にあった。セレネの人生は啓示で示されている。母胎内で一生分観たのを、すべて記憶しているのだ。すなわちセレネにとって、生きるとは記憶を追認することだ。もしかしたら自分はまだ胎内にいて、夢で観た未来を追認する夢を観ているだけなのかも知れないが、やるべきことが変わるわけではない。迷わない心は環境に従うどころか環境をも従える。悪魔のはびこる庭園も、セレネの祈りの前では聖域と化す。屋敷までの道のりなかばにある東屋に拠点を置き、祝福を与えるべき勇者が来るのをセレネは待っている。
悪夢の劇場のキャストにされたのも災難だったが、ピエタとロザリアに与えられた役回りがまた酷すぎた。自分たちのことばかりを考え、人を不幸に落として溜飲を下げる床屋をやらされのだ。気分が悪すぎる。だが幸運なことに劇場はどういうわけか崩壊し、なんとか生き延びた先の庭園で仕事を得ることができた。
やはり自分たちには剪定業がぴったりだ。美しいものに触れていられるし、何より人を幸せにするところがいい。
走る、走る。エチカは走る。鞄を抱き、髪を揺らし、恐ろしい大男から必死に逃げる。追いかけて来るのはさきほど誘惑したうすのろの配達員だ。馬鹿にして笑うと面白いように怒り狂う。笑いが止まらない。走る、走る、もう捕まっちゃう。
逃げた先にはトンネルがあった。エチカはかがんでアーチをくぐる。大男もくぐろうとしたが上の鉄格子にぶち当たった。鼻から血を流してフガフガ言う。
エチカがトンネルを抜けると、待っていた友達が鉄格子を下ろす。大男は名残惜しげに掌を鉄格子に叩きつける。エチカが指さして笑う。みんなも笑う。御覧なさい、なんて情けないんでしょう!わたしたちは最高。わたしたちは無敵。わたしたちの世界には誰も立ち入れない。